春日神社について
春日神社について
御由緒
祭神 武甕槌命 カケミカヅチノミコト
斎主命 イワイヌシノミコト
兒屋根命 コヤネノミコト
姫大神 ヒメオオカミ
延享4年(1747年)の文献には、第52代嵯峨天皇が弘仁年間(810年~824年)に、現在の国分寺町新名地区の氏神として勧請したとされる。
もともと別所(野揺地区)に鎮座していたが、天正11年(1583年)の戦で焼失した後、現在地に移された。野揺には「焼宮」や「神庭」などの地名が残っており、その歴史が伺える。
春日神社は奈良の春日大社を総本社として、全国に1000社以上、国分寺町内でも3社ある。藤原氏の始祖は「兒屋根命 コヤネノミコト」であり、藤原氏の氏神となるのが春日大社を祖とする全国の春日神社であり、藤原氏の隆盛を窺い知ることができる。
また神仏習合時代を象徴する神社でもあり、世界と比較しても圧倒的な宗教観を持つ日本人の根幹が良く顕れている。
平成16年(2004年)の台風16号によって御輿庫などに土砂災害が及び、氏子によって新たに社務所が建設された。現在でも土砂流出跡が本殿裏に見られる。
境内の見どころ
「狛犬・石畳」
春日神社の氏子区域には「石舟」地区があり、そこでは古代から石工が多く住んでいる。石舟地区の鷲之山から産出される角閃安山岩(新名石とも呼ばれる)は柔らかく加工が容易ということもあり、瀬戸内海を中心に近畿圏などにも運ばれている。
古代から石工が多いことで加工技術も優れており、県内の神社だけでなく、橋や石畳、灯篭など多くの建造物に使用されている。石工の技術は遠くモンゴルでも活かされた。
また高松市指定有形文化財である「石舟石棺」(県内8か所・大阪2か所)の加工も当地区の石工が4~5世紀にかけて細工をしたと考えられている。
その他にも「皇居・宮殿東庭」で行われている一般参賀、その足元には、昭和天皇の勅により「国民の足への負担を考え、香川県の柔らかい石を使いなさい」と伝わっており、産出地は詳らかになっていないが鷲之山石の可能性もある。
境内には狛犬だけでなく、灯篭、玉垣、石畳、階段など、多くの建造物が残っており、その技術に触れることができる。
「隋神門」
神域に入る前の結界として、中世以降に多く建てられるようになり、神社の格式や信仰の象徴として重要な建造物。
多くの場合、武士の姿を模しており、手には弓矢・剣を携え災いから神域を守る役割を担っている。
全国で多く見ることができるが村社(村単位で建立されている神社 他に郷社や県社がある)で隋神門を有している神社は希少である。それだけ厚い信仰の対象となっていたことが推察される。
「忠魂社」
主に太平洋戦争(第二次世界大戦1941~1945)で戦死をした英霊を祀っている。国分寺町出身者の御霊を祭神として、毎年11月には慰霊祭が斎行されている。
全国の護国神社と同義であり、戦没者の遺族によって保持されている。今の平和を改めて考える機会を与えてくれる社である。
「奥宮(地神社)」
春日神社拝殿横を通り、うさん子山(兎越山)中腹にある社。現在のような開発をされる以前の細い参道があり、昔の雰囲気を味わえる。
この周辺地域の地神社として祀られている。デジタルデトックスを兼ねた散歩に向いている。獣害・竹害もあるため注意が必要。
「ウサギの石像」
当神社が鎮座する山は兎越山(うさんこ山)であり、新名石のウサギが行事に合わせて境内に数羽、隠れていることも。
宮司のあいさつ
この度は、春日神社のホームページをご覧いただき、誠にありがとうございます。
春日神社は、古くよりこの兎越山(うさんこ山)に鎮まり、地域の皆様とともに歩んでまいりました。
お宮参りや厄除け、季節の祭りなど、人生の節目や日々の祈りの場として、多くの方に支えられて今日を迎えております。
日頃よりお寄せいただく温かいご厚情に、心より感謝申し上げます。
神社は、特別な日だけでなく、ふと心を落ち着けたいときに気軽に立ち寄っていただける場所でもあります。
境内の静けさや自然の息吹の中で、心を整え、明日への力を得ていただければ幸いです。
これからも、地域の皆様に親しまれ、安心してお参りいただける神社であり続けるよう、努めてまいります。
どうぞ今後とも変わらぬご支援を賜りますようお願い申し上げます。
皆様のご多幸とご健勝を心よりお祈り申し上げます。
春日神社
宮司 中尾和司